このまちはぼくのもの

温泉に行ってきたよー。妹とふたり、肉食って温泉はいってふかふかの布団でしょーもないバラエティ番組をみてやいやい言う幸せ。夜の大浴場はだれもいなかったので露天ぶろでザバババーンと泳いだ。空気はピリピリと冷たいのに、からだとあたまはぼわーっと暖かくて、水の中でわたしの腕や足がだらしなくゆらゆらゆれていた。

その夜は、よしださんからの電話が鳴り続けていた。放置してたら「げんき?明日はいろいろあるので連絡は禁物です。また年明け」ってメールがきた。「いろいろ」ってのは「彼女とすごす」の意で、あーわたし完全に2番目の女だなあ、と人事のようにおもった。セカンド女のルール「こちらからは連絡しない」を痛々しいほどに慎ましく守り続けた2008年の私。一度こちらからメールしてしまったとき(それでも私の情報網を駆使し彼女と一緒ではないと確信できる日を狙ってメールした)、よしださんは牧師のようにやさしく話を聞いてくれたけど、最後に「おまえはやく男作れよ、たのしみにしてるから」って言われて、うわ、このセリフを男の人から聞くの何回目だろうっておもった。もうこの人とは終わりにしようと誓った。そう誓ったはずなのに、あの夜の空虚さとともに固く誓ったはずなのに、ああたぶん、私は鳴り続ける携帯電話がすこしうれしかったんです、ぎゃー!!!

後輩から年賀状が来ていた。さいきん後輩は仕事も恋も友情も絶好調!っていう、auのCMにあらしの一員として出ていてもおかしくないハッスルぷりなので、器の小さい私は「その他大勢」のひとりでしかない自分が苦しくて仕様がなかったのです。それでここのところメールを返さない後輩にやきもきして元旦から眠れなくなってしまい、もうこれは恋というよりもはや執着心なんだと、わかっているのに苦しくて苦しくて、年賀状のはしっこになぐり書きされた「公私ともによろしくお願いします」っていう文字に、どんどんまっくろなきもちになって、いっそ彼女と結婚してくれたら楽になるのかなと病的に思い詰めたところでやっと睡魔がやってきた。もうやめたい。都合のいい女も不毛な恋にねむれない夜も、ぜんぶぜんぶやめたい。

温泉の帰り、京都の天龍寺に行った。ガイドブックに載ってただるまのお守りを買い、湯葉を食って帰った。大阪市内に車が入ると、そこはもうコンビニやツタヤやユニクロやラブホのあふれる手垢にまみれた大阪で、私はこんなところにもう8年も住んでいるのだなとおもった。モノがあふれているのにそう重要なものはなくて、むしろ重要でないことに意味があるような、わたしたちの生活を文化的にするための様々な仕組み、近未来的な建物と高層ビル、さびれたラーメン屋や物悲しいスナックの看板、ゴミだらけの空き地、それがわたしの住む大阪であった。なにもないってことは私を不安にさせるから、だからわたしはここに居続けるんだろうとおもう。

さてさて、2009年です。