ずっと前に好きだった人とメールしてて「最近(芸能人で)だれがすきなん」てきいたら「ガッキー」って返ってきてずっこけた。いやーがっきーは鬼のようにかわいいけどさー。なんかこの人は17で知り合ったときからずっと変わらない気がする。17才のわたしはこの人のこういう痛々しいほどにあまずっぱいところが好きだった。うわ、私って17から既に男を見る目がなかったのか。

こないだ酔っぱらった彼氏が前につきあってた彼女の話をしてて、ふつうそういうのって「聞いたら傷付くんだけどでも気になる」っていうスタンスで聞くものだとおもってたけど、なんか全然そうでもなかった。ぼんやりと、あーこの人もきちんと傷付いてきたんだなあ、と思った。それなりのことがそれなりの規模で起こってそれなりに傷付いて、それを乗り越えたりひきずったり学んだり見ないふりしたりして、この人は今ここにいるんだな、と思った。その感情は、私の知らない過去への嫉妬ではなく、今ここにいる彼に対する敬意と、それから罪悪感だった。罪悪感かー。なんかそのキーワードって人間関係を築いていく上でよくないよなー。

という精神状態が関係しているかは知らんが、ここのところ仕事がぼろぼろである。「仕事のできない自分」を自覚することは、「料理のできない自分」や「男を見る目のない自分」を認めることとはなんかもう次元が違うわけです。料理とか男運は「性質」だけど、仕事出来るか否かって、その人の存在価値を決定付ける。大袈裟に言うと、仕事できないのって社会的な死を指すわけです。ぐはー自分で書いてて傷付く。学生はとりあえず勉強してたらそれだけでえらいけど、社会人は働いてるだけじゃ褒めてもらえないもんなー。

もやがかかったような、朦朧とした頭で仕事をこなす。敵に追いかけられているのに足がもつれてうまく前に進めない、という夢の感覚に似ている。コンプレックスにまみれて1日が終わる。

本格的に、息抜きが必要。