大型連休の波に乗り、広島へゆく。大阪から車で5時間。レンタカー代、高速代、ガソリン代、交通費だけでもばかにならんのだが、でもよかった。いいところだった。自然が多くて、人が親切で、適度に都会。食べ物おいしいし。癒された。また行きたい。で、広島男児の男気に触れたい。

ドライブ中、車内では大塚(愛)のベストが流れており、これがまた妙に人々のテンションをあげていたのだが、あまりにも大塚が愛だの恋だの好きだの嫌いだのを連呼するので、最終的は胃がもたれた。渋滞につかまってるときに、だーいーすきーよーとか言われてもなー。


同期の男の子から、別離宣言のメールが届く。彼は彼女がいるのにも関わらず私に対しストレートに好意をぶつけてくるので、どう対処したらいいのか困惑したが、心が病んでいるとき、その真っ直ぐな感情に救われたりもした。その彼の、私への関心はようやく底をついたらしい。彼のメールには、今までごめん、これからは彼女を大事にする、とあった。別に謝ることなんてひとつもないし勝手に彼女を大切にするとよい。なんでわざわざこんなメールを送ってきたのかよくわからんかったが、どうやら友人の結婚式に出席した際、ものすごく感動し、彼女を大事にしようと決めたらしい。だからといって私にこのような宣言をする必要は皆無だが、でもその単純でばかなところが彼らしいと思った。いいやつだな、と思った。ばかだけどまっすぐで、いい彼氏じゃないか。

そして思った。彼女という絶対的な存在の大きさを。一瞬の気の迷いが生じたことに、彼は罪悪感を覚えたのだろうか。いつもそこにある彼女という存在の大きさに、ようやく気がついたのだろうか。彼が去っても私はひとりで生きていけるし、今まで通り何も変わらない日々が続くだろう。

さみしいとかせつないとか、そういう感情よりも、ひとりであるということを思った。彼女を大切にしてください。おたがいがおたがいを必要としている奇跡を、もっと大事にしてください。一瞬とはいえ、気持ちはありがたかったし救われた。ありがとう。さようなら。