大人の階段は何段まであるのか

ともだちがぞくぞくと結婚するのである。
10代から知ってる子が結婚するのである。これは事件である。

みんなそれぞれに結婚に至った経緯があって、そしてそこにはもれなくそれぞれのドラマがあって、そうゆうことを考える(妄想する)だけで、小一時間くらいは軽くつぶせてしまうわけです。結婚って大人がするものっていうイメージがずっとあって、幸せの象徴とか、恋人が家族になるとか、そういう明るいイメージに先行してまず「大人の決断」っていう濃厚で揺るがないイメージがあって、で、そんな大層なことを、いっしょに鼻水たらしながら泣いたり笑ったりしてたあの子たちがするんである。これが感慨深くなくてどうする。

もちろん、言葉には言い尽くせないほどにうれしい。それは大前提として。このむずがゆい感じはなんだろう、と考えた。で、おもった。このきもちは、小学校から中学にかけて、周りの友だちがぞくぞくとせいりをむかえていったときの、あのかんじに、にてる(たとえが下品ですみません)(そんでもって男子にはわかりにくいたとえですいません)。

わたしの知らないことを、まよやみほこやかなは知ってしまったのだ。彼女たちがなにかを少しずつ積み上げてなにかを獲得しているあいだ、わたしは何をしてたんだろうか。わたしがその何かを知るときはくるんだろうか。

君たちの背中がとても遠いよ。でもやっぱりとてもうれしいよ。全力でお祝いさせてもらうから、覚悟としくがいいよ。